スネオヘアー

2004年10月31日 コラム
アーティストの名前を考えるときに欠かせない要素の一つにインパクトがある。
響きがカッコイイとか、一回聞いたら忘れないとかいろいろあるがスネオヘアーの場合間違いなく後者だ。
私が始めて彼の名前を耳にしたのはとあるFMの深夜番組で、
「なんかはったりかましたなあ。スネオって・・・」という印象を持った。
だってスネオのヘアーだよ。
あの髪のツンツンした毛だよ。
ヘビーメタルかよ。ってツッコミたくなりつつ調べてみると、
ちっともツンツンしてないし。
逆にサラサラストレート前髪短めだった。
でもこんな思考をどんどん展開させている時点で
もうスネオヘアーの仕掛けた巧妙な罠にはまってしまっていたわけ。
だってもう忘れられない。
あんな変な名前簡単に忘れられない。
忘れても「スネオなんとか!」で見当つくしね。
そう考えるとドラえもんの中の主要人物の知名度はすごい。
スネオヘアーはスネオ君の賜物であるわけで、
こんなエキセントリックな発想をする渡辺健二もまた
エキセントリックの賜物であったりして。

これだけ名前にインパクトがあるスネオヘアーにはもう一つ凄いところがある。
名前負けしていないことだ。
はったりかましたようで、実はちゃんと力もある。
彼の不思議な世界観を語る上で取り上げたいのが
アルバム「a water color」の「伸びたテープ」だ。
普通に「恩を仇で返す生き方は避けなきゃ」なんて歌われたら
なんか金八の説教を食らっているみたいでイヤな気分になる。
そんなウルサイこと聞きたくもない。
なのにスネオヘアーの歌声に乗せて言われると素直に受け止めてしまう。
「まあそうだね。」って思う。
それはスネオが彼自身に言ってる言葉だから。
あまりにもリアルに自身を描写している。

遊びに行っても煮え切らない

うちにいても息苦しくて辛い

賞味期限切れて硬くなったパン

恩をあだで返す生き方は避けなきゃ

これを聞いて思うことは「まあそうだね」
だから、別に説教じゃないし、最後に


のんびり行くのはかったるいしさ

 飛ばしていくのはなんだかんだで

 疲れちまうって

それでも自分のペース

わかんないで知らないで

人が気になってスカしてるから

ちょっと味気ない部屋

チューニングの狂ったギター

すましてるだけで腹の虫が起きだしてくるものさ

だから煙草 だから煙草

吸って 吸って

作り出すこんな気持ちは

どんな気持ちだ

で締めるどうしようもなくパーソナルな曲。
絶対にスネオのことだけど私のことでもある気がするような曲。
だって私はタバコ吸わないし、ギターなんて部屋にないし、
賞味期限切れのパンもない。
でもその超個人的な歌詞の中に皆が感じる感情の一つの断片を表しているのではないか。
この歌は、「100万人を感動の嵐に誘う名曲」でも「日本を震撼させる衝撃作」でもない。
「頑張ろう」なんて意気込んでるわけでもなく、
やる気がないわけでもなく、今の自分を嘆いてるわけでもなく、
無能な精神科医が患者の精神心理をうまく言葉にできないように、
なんとなくわかるんだけどわからない気持ち。
そんな言葉にするにはかなりの言葉を使う感情を、
自分の客観的な動作と無機質な物体の描写によって書いたスネオ。
もしかしたら本人はこのことに気づいてないのかもしれない。
そう思わせるほど自然な流れを持っている

スネオヘアーの曲はどうしてこんなに心地良いのか?
スネオヘアーの楽曲達は一聞、BGMになることを好んでいるように思えた。
日常の中の片隅にしっくりはまるし、ガチガチした耳障りな音でもない。
でも実はその日々の断片から鋭い輝きを見せているのだ。単純に生活の横にあるものではなくもっと能動的に生活に働
き掛けているような、
またはかなり冷めた目でみているような感覚を受ける。
おもいっきり主役を演じるのではなく、ちょい役でありながら影の主役を演じる。
そんな表情を持つ音楽だからいつも聞き流しているようで実はグッサリと心を指されているのだ。
深い所までいつのまにか刺さった音はジンジンと体の全身に伝わっていく。
それが気付かれないでやってしまうから凄い。
それに楽曲は非現実的なミラクルワールドへ連れて行ってくれるわけでも、
腐敗した世の中を見捨ててしまおうぜない。
そこにあるのはただ繰り返すつたな日々。
それをスネオは真っ直ぐでもなく、後ろからでもなく、ちょっとひねくれた角度から覗いている。
ニヒリズムを持ち合わせているこどがたまらなく気持ちいい。

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