時代は上質な日本語を綴るロックバンドを探していた。
今、上質な日本語ロックバンドがいないわけじゃない。
奥田民生とか最近解散したTHE YELLOW MONKEYとかだって素晴らしく鋭い感性で独自の世界を切り開いてきたそりゃあもう質の高いアーティスト達だ。じゃあなんでアジカンが求められたのか?時代は新鮮な青臭さが欲しかったのかもしれない。青くささを持っている それは音楽の経歴が物語るもので若いバンドにしか持たない言ってしまえば未熟さである。その未完成で自分たちの真の姿を模索している頃には独特の勢いがある。もがいて、あがいて、認められたいと思う気持ちが曲に染みついている。でも青くささ なら若いロックバンドなら皆持っているものだが上質な日本語ロックを操るバンドはそういない。ましてロックを柱としているバンドの中になんて。
みんな、無意識のうちにこれからの王道日本語ロックの後継者を探していたんだろう。だから青くさい色を持ちながら根底には揺るぎないロック本質がドーンと横たわっているアジカンが選ばれたのだ。

続く

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